宮部みゆき『名もなき毒』☆☆☆☆

 涙を絞る、とはこのことか。おっぱいを飲む息子の頭の上にぽたぽた涙を落としながら読みました。

 なんとも悲しい話。宮部さんのミステリには、サプライズというのは案外あまりないような気がする(特に最近のは)。展開にだいたいの想像はつく。だけどものすごく読み手の感情を揺さぶるミステリなんですよね。さすが人情派というか。市井の人々の、ごく普通の人たちの感情を描写するのが実にうまい。

 今回のテーマは「人の心に潜む毒」。「悪意」を彼女は「毒」と言い換えている。前に某所に書いたけど、私が最近ずっと気になっていることがテーマだった。ここに出てくる犯人は、特殊な人間ではないのですよ。まさにすぐそのへんにいそうな普通の人の心に眠っている毒。そしてその前にはいかなる権力もたちうちできない。

 主人公の義父が言う、「究極の権力は、人を殺すことだ」「禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ。ふん、何が今多グループの総裁だ。無力なことでは、そのへんの小学生と一緒だろう」。正義は、悪意の前には無力なのか。普通に生きるとは、誠実に生きるとはなんと難しい世の中なのだろうか。そうやって生きていても報われない人は、どうすればいいのだろうか。

 それでも宮部さんはまっすぐ生きようと言う。毒は結局、その毒を吐いた本人をさらに毒で犯すだけだと。彼女の誠意に、救われる思いがした。

 読後感は『模倣犯』と似ている。傑作。☆4つ半。
名もなき毒